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注目の著者インタビュー

評伝中村憲吉

藤原勇次さん

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評伝中村憲吉

2010/08/10

 中村憲吉を端的に言えば『アララギ』という短歌結社から活躍した詩人です。結社というのは、短歌を作るうえで同じ理念を共有する者たちが、それぞれ短歌雑誌を出版しまして、それを結社誌というんですけど。その結社に集まって、雑誌を毎月出版したりする、活動をしているものです。
 中村憲吉の思想のルーツは、正岡子規です。正岡子規の弟子が伊藤左千夫という人物なんですけど、その伊藤左千夫が『アララギ』を通して、斉藤茂吉などを育てたわけです。憲吉は学生のころ、その左千夫に詩が認められ、上京して、『アララギ』の結社の同人の一人になるんですよ。それで後に、大正から昭和の初期にかけて『アララギ』の中心歌人の一人になるのです。

 憲吉はね、三次高校の出身なんです。布野町、かつての布野村ですね。そして三次高校で3年後輩に、倉田百三が入ってくるんです。御存じですか? 倉田百三は、庄原出身でして。三次高校へ……旧制三次中学のここへ入学するですけれど。『出家とその弟子』や『愛と認識との出発』とか、それから『俊寛』とか、いわゆる戯曲、小説、評論、そういうものを書く作家だったんです。大正期に『白樺』という大きな作家グループがありまして、武者小路実篤や志賀直哉らが中心の。その『白樺派』の作家たちとの交流があったんです。『白樺』の雑誌にも文章を書いたりしています。
 ここ三次高校、前身の第三中学校の時に『白帆』という文芸雑誌を出すんです。憲吉が発行部長をし、百三が副部長をして。それが彼らの文学活動の始まりだったのかもしれません。憲吉は俳句を作ったり、小説めいたものや随筆を書いたりしていたんです。彼らが本格的に文学、文章の勉強を始めて書いていくきっかけになったのは、文章が非常にうまい数学教師がいたんです。その教師の熱意に感化され、百三、憲吉の文学的才能が、引き上げられたというか、開花したのです。
 この学校を卒業後、鹿児島の方にも勉強をしに行っていたのですが、そこで最初の短歌が『竹の歌』。伊藤左千夫の新聞撰歌欄で、入選するわけなんです。それで、伊藤左千夫に認められ明治41年1月26日付けの日本新聞という新聞短歌欄に、彼の短歌が全部掲載されるんですね。これが高く評価され、歌人として本格的な出発を始めたわけなんです。その後、信州の島木赤彦という歌人とも交流を始めるようになり……あの『島木赤彦賞』の名前になった歌人ですけれども。彼も『アララギ』の出版の中心人物になるんですが、小さな結社だった『アララギ』が、彼らの活躍により大正期では最大の結社になるんです。当時の『アララギ』の歌人の名前を挙げれば、島木赤彦、斉藤茂吉、中村憲吉、それから土屋文明ですね。錚々たる歌人たちの中の一人として作家活動をし『アララギ』という雑誌の編集に携わったりしたのです。『アララギ』でなければ歌にあらずという雰囲気まで、歌壇の中で大勢力を持つんですよね。

 憲吉の最初の歌集は、島木赤彦の合同歌集なんですけども、そうは言っても師匠の伊藤左千夫の短歌も出さにゃいけまぁじゃろということになったようでして。けれども、なかなか左千夫の歌がまとまらなかったみたいですね。それで、斉藤茂吉がそれじゃ代わりに自分が出そうという話になりまして。『赤光』という、今ではとても有名な歌集があるんですが……。それもねえ、なかなかうまく予定通り進まなくて、それじゃ、憲吉と赤彦で合同歌集を『アララギ』の第一歌集として出すことになりまして、『馬鈴薯の花』という歌集を2人で出すんです。それが『アララギ』の記念すべき第一歌集になったわけです。そして第二歌集が斉藤茂吉の『赤光』。結局、伊藤左千夫は歌集を出せないまま、亡くなってしまうんですが。
 憲吉の第二歌集が『林泉集』という歌集で、これが歌壇で注目を浴びるんですよ。すでに『馬鈴薯の花』で目は付けられていたんだけれども、飛躍的に大正ロマンチズムを表現するような、いい歌集を出すんですよ。それが高い評価を得て、歌壇へ彗星のごとくデビューすることになったんです。
 三次を離れ、ちょっとロマンチズムな、都会風な、東京におりましたからね。東京の隅田川の近くに、下宿しておりましたから。あの辺の風土をバックにした、近代的な作品を書くんですね。
 その後『しがらみ』という憲吉の代表歌集が誕生。これも非常に高い評価を受けて、いわゆる中村憲吉の歌風を確立させたという作品なんです。どういう作品かと言いますと、『林泉集』のようなロマンチズム的な都会風な作品ではなく……。憲吉は、布野へ帰住するんですよね。東京大学を卒業したのだけれども、どうも就職活動がうまくいかなくて、親父が帰ってこいと、もう結婚をせいということで帰ってくるんですよ。布野で親父の仕事を手伝っていた時期があるんです。その時の、布野を詠んだ歌が、『しがらみ』という歌集におさめられます。これはもう、都会的な作品ではなく布野を中心とする、県北の風土、生活に密着した、当時の人々の暮らしや、情景が浮んでくるような歌を詠んだんです。
 県北の情景が浮かび、人々の生活がリアルに伝わる歌なんです。『アララギ』はリアリズムを大事にしている結社だったのですが、その中で最もリアリティのある歌を作ったのは、憲吉じゃないかと僕は考えているんです。いい歌がいろいろあるんけどねぇ……。

「秋づけば 山のぬすみのまた増加えぬ 今朝もこと告げ 山守きたる」

 秋が近付くと山に入って、冬の支度のために薪を盗むんです。村の人は貧しいわけで、ほとんどが中村家のものなんですよ。憲吉の父親は、なかなか商売の才覚に長けた人で。例えば、運送が荷車の時代から明治の初めに、荷馬車の時代に変わるんです。つまり、少量の運送から大量運送の時代へと。彼の父親は村で2番目に運送業を始めたんです。さらに、そこで貯めたお金を増やすため、いわゆる金融業を始めたわけです。村の人に貸すんです。当然、貸せば畑や田んぼや山を担保に取りますよね。ところが布野村というのは、ご承知の通り、赤名峠を越えたら出雲。山間地域の細い土地でしょ。ですから、冷害や飢饉があった時なんかは、米ができないわけです。そうしたら、どうしても金を借りなきゃいけない。で、金を借りるのですが、代わりに土地を担保に。そして……返せない。当時は全部その土地を世襲していたわけですから、布野や三次の山や田んぼや畑は、かなりのものが中村家のものでした。そうやって事業に成功して、県北では屈指の実業家になったです。いわゆる資産家の家長として、跡を取らんといけないという時代でも、憲吉は村人を見る視点が違うんですよね。村人の生活を見るんですよ。それがリアリズムという作風につながっていくのです。

 話は戻りますが、秋が近付くと山の盗みがまた増える……。それを見張る山の番人がいるんですけど、彼が「盗みが来た」と告げに来るわけです。それで、

「こと細かく 山の盗みを言うてくる この山守もまた ものを盗めり」

 と、詠むわけです。こと細かく、村人が薪を盗んだと言って私のところに訴えてくる。しかし、この山の番人もまた、私に隠れて山の木を盗む……。つまり、人々の生活が冬を越せないほど厳しかったんです。そこへ憲吉は目を向けているんですね。それで、

「林間に 人をとらえてきて叱れという 山守の顔に 我驚けり」

 とあるように、盗んだ村人を捕まえてきて引きずってくるんです。こいつは中村家の薪を盗んだから、叱ってくれと言ってくるんだけど、山守の顔を見たら、憲吉が今まで見たこともないような険しい顔をしているわけです。

「貧しくて 盗むを知れり我が前の 小物に向かい 叱りて思うも」

 結局、生活が貧しくて盗むということが分かった。憲吉は村の百姓に小言を言いながら、叱りながら、あぁ、貧しいから盗むのだなと。そういう見えないところがあるんだな、と感じるのです。そして最後に

「山元へ 人を赦して去らせたり 紅葉のあいを下りを 隠る見ゆ」

 盗んで来て叱った者を「もうえぇ、えぇ」と言って許して帰らすと。その去っていく村人が、紅葉の間を隠れるように消えていくのが見えるという歌なんです。もう明らかにヒューマニズムの歌ですよね。昔の地主のように厳しい人だったら、もっと締め上げるでしょうけどね。


 そういった人間味あふれる憲吉のことを、僕の後世まで残したいという思いがありまして、その情熱だけで、この本の執筆に取り組んだんです。ちなみに僕も『塔』という結社に入っておりまして、いろいろなテーマで歌っています。基本的には『塔』は『アララギ』の流れですから、生活に目を向けることが多いんです。例えば、学校の生徒のことを詠むこともあるし、学校の教員や僕自身の仕事のことを詠むこともあるし。授業の風景、家庭のことだって詠みます。原爆のことについて取材をして、その原爆の足跡を訪ねながら短歌にするということも当然あります。生活を詠む生活詠があったり、県北には自然がたくさんありますから、自然を詠む自然詠があったり、まあいろんなものを詠みますよ。旅をすれば旅の歌もありますし。僕の田舎の故郷をテーマにしてだいぶ詠んでおりますよ。故郷も大事なテーマですから。故郷、僕は島根県の奥出雲の亀嵩という松本清張の『砂の器』の舞台になったところの出身なんです。ですから、『砂の器』をベースにしながら、亀嵩を詠む歌もたくさん作ってますよ。そういう風にして、いろんな分野の歌があって一冊の歌集にまとまらないと、歌集もおもしろくないんですよね。

 それから、一昨年は三次高校創立110周年で、中村憲吉生誕(大体)120年になったんですよ。正確には去年の春ですけど。その記念の全国短歌大会をしたわけです。対象は高校生、中学生、小学生として全国へ募集をかけまして。そうしたら、1万5千数百首の歌が集まりましてね。ほかにも、全日制の場合には、月1回、必ずみんな、全学年で短歌を作っております。定時制では、三高短歌会というのを作ったんですよ。歌の批評したり、お互いの歌を読み合うんですよね。で、それを『塔』の短歌雑誌に送るんですよ。
 いや〜、センスがいい生徒がいるんですよ。まあ、そういうことも含めて、若い人たちが短歌を始めとする身近な文芸に触れて、自分のものにしていく。それがきっかけで、感性が磨かれてくれるといいなと思いますよね。願わくば……中村憲吉、現代歌人では、桑原正紀さんとかという有名な歌人が、三次高校出身でいますから、それを継ぐような生徒が出ればいいなと思ってやっております。


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藤原勇次さん

著者プロフィール

藤原勇次

県立三次高等学校教諭。郷土出身の文学者中村憲吉等の研究に取り組み,その研究成果を授業に取り入れるなど,生徒の表現力の育成に尽力するとともに,自らの著書を学校図書館に寄贈するなど,生徒の読書活動の推進に貢献している

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